2017. . 14

手まり唄や童謡とか、わらべ歌で好きな歌はありますか?覚えてる歌とか


『いっちりっとら〜らってくってし〜しんがら、ほっけきょ〜〜
京都のちょんま〜げ』

これはマリつき唄だったのね。

『いちれつらぱん はれつして 』

この唄はここまでしか知らないのですけれど日露戦争の唄だったのね。
意味もわからず、ふむふむと神妙な顔をして聴いていたあの頃。
これは、母がお婆ちゃんから教わったのでしょうか。
自分だけの思い出のような気がしてとても大事なものだから
忘れたくない唄なのです。

いま思うと、ああ、コワイ。と思う唄なのは、

『山寺のおしょさんが鞠は蹴りたし鞠はなし
猫をかん袋に押し込んでポンと蹴ればニャンと鳴く』

軽快なテンポのこの唄は
おしょさんが猫を袋に押し込んで蹴るという
今考えるとダメよ、この唄となるよね。

『しょ、しょ、しょじょジ〜しょじょじの寺はつ、つ、月夜だ
みんな出て来い来いこい。負けるな、負けるな、おしょさんに負けるな』
これは、ワクワクする、おしょうさんの歌。

そして、ネズミさんの歌
手遊びの時に歌ったのよね。

『ずいずいずっころばし ごまみそずい
抜けたらどんどこしょ
タワラのネズミがコメ食ってチュウ
ちゅうちゅうちゅうおっとさんがよんでも おっかさんがよんでもいきっこなしよ
いどのまわりで おちゃわんかいたのだーあれ』



手遊びをいえばもうひとつ。
これも2人1組で手を合わせて遊ぶ唄。
みかんの花咲く丘と同じくらいよく遊んだものです。

『やまだのなかの一本足のかかし
天気の良いのにみのかささして
朝から晩までただ立ちどおし
あるけないのかやまだのかかし』

あたまの中でたまに流れる懐かしい唄。

母との思い出の唄。

きっとあたしの年代の人で いっちりっとら〜は知らないと思う・・(⌒-⌒; )
古すぎる歌だもの。


『みかんの花が咲いている
思い出の道 丘の道はるかに見える 青い海お船がとおくかすんでる

替え歌
みかんの花が埼玉県
思い出の道岡山県はるかに見える青森県お船が遠く神奈川県

手のひらを出して焼けたら裏返していく手遊び唄

『おせんべ焼けたかな

透き通る緑色のソーダのイメージがいまもする

『ソーダー村の村長さんはソーダー飲んで死んだソーダー
ソウシキマンジュウくったソーダ』


時代よねえ。

アズキを入れたお手玉。
何個もくるりくるりとジャグラーのように手遊びでまわす。
そんなのに憧れたけれど
不器用なあたしには片手にひとつずつの2個をくるくるまわすので
めいいっぱいだった。

あやとりもそう。川の形から始めて、いつも何回か取り合うところまでしか
ず、同じところで途切れてしまう。

毛糸であやとり紐を作ったり、おはじきを弾いたり
手遊び唄で楽しんだり、
外ではゴムヒモで遊び、石蹴りをし、
缶があれば缶がひしゃげるまで缶蹴り遊びをしたり。


だれだれ見つけた かんけりカーン。

夕日がそろそろ帰りなさいよと紅く空を染め上げる頃、

そろそろかえろうーっと。

じゃあね またねーと、 だだだっと走って帰っていく。




わらべ歌、手遊び唄の歌詞は時代と地方によって違うだろうし
なにが正確かわからないけれど、少しでもこうして覚えていられて
とても嬉しいのです。 の、りいのすけでした。

2017. . 17

ウォーターなんちゃら。ガラスの中で夢を見る


植物を育てたり、みたり、聞いたりするとワクワクする。

動物をみたり、あしあとをみつけたりするとワクワクする。

生きているものが面白くてしかたないのよね。

でも生きていなくても

ウォーターなんちゃら、あれはなんていうんだろう

ウォータードーム、、、スノウドーム

まるくて中に水が入っているアレ。あんなのも好き。あの丸いガラスの中を
覗くのが面白い。

そして先程から手元に置いて眺めている
このガラスの球体の物も好き
中に色ガラスで金魚さんが入っていて
空気も泡のように入っている
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これはガラスの塊なのはわかっているけれど
手に持つと空気を持っているような気持ちにもなるし
自分は宇宙だとしたら地球はこんな感じなんだろうか。地球は宇宙に浮いていて大気圏があって
その中に空気があって、そにずっとしたに地球の表面には海があって
陸があって山脈が走っている。
海に人差し指を入れてみる。ちっと冷たい
砂漠と言われている黄色い場所を少しなぞってみる。
くっきり指の跡がついちゃった。
これはちょっとまずい気がするからなぞって平らにしておこう。
ああ、あそこがアマゾン川
生き物の生まれた場所。
母なる大地に母なる川

ガラスの玉を眼は見つめ
心は遠く宇宙にある。
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心の旅行はいつでもどこででもできるのだ。

何かをのぞいてみよう。違う世界がそこにあるよの三枝りいのすけでした。

2016. . 14

自分時間を旅行する その2 友達とは。信頼関係を築くとは。



今、途中まで書いていたけれど、ポストから出して来た包みを開けたら
チョコレートとお手紙とバースディブックが入っていたのね。

お手紙が入っていてね。
ちょこっと書き出すと
「メリークリスマス りいさん! デパートぶらぶらしていたらクリスマスの雰囲気に呑まれて、こんなもん買っちまっただよ。たべてくりくり ‥‥‥」

とても嬉して、お話をチェンジしちゃいます。 ^^

ーーーーー

「友達」とは、なんだろう。




たとえば、
信頼できるのが友達。とか、
一緒に過ごした時間が長いから友達。とか、

ーーーーー

友達はたくさんいたほうがいいのだろうか。

どのくらいまでの距離が友達というんだろうか。

「友達」というものは曖昧で括りがないからわかりにくいけれど

友達というのは出会った瞬間から親密感を感じてこの人、好きだなあ。友達になりたいなあとか。

うわっ、気が合わないだろうなあ。こういう人苦手だなというところから、いつのまにか仲良くなっていたり。


初めてあって思いがけず意気投合をしていきなり友達というのはありだし、
もう友達だねと言えるくらい心を開いたり出来たなら
とても素晴らしい出会いなのだと思う。

悩み事を話せるくらい信頼関係が築けたらそれが親友というんじゃないかな。

親友というのは、一緒にいて楽しくて安堵できて、理不尽な事だとわかっていても話を聞いてくれて一緒に頷いてくれるような
そういう仲かな。
ここまでは、ゆるりとしていいと思うの。

でもね、本当の親友というのはね、悩むあなたがあなたの大切なシーンや人生の岐路に立った時に
あなたの悩みや思考を聞いたあとに、あなたがそう思うならそうなんじゃないかなとか、簡単にわかるよと言わないで、違うのではないのかなとしっかり言ってくれる人だと思う。
親友自体がそれは違うと思ったら、理不尽でも一緒に頷くなんてことはしないもの

簡単な悩み事を聞くのなら、そうねえ、あたしもわかるわあ。と同調してもいいと思うの。
でも、親友がね、簡単な悩み事じゃないことを相談してきたら、
噛み締めてあげることです。
他人事として話を聞くのではなくて、自分の身になって話を自分の体内にいれて考えること。

目というものは、第三者として聞くのと
本人になるのは思考がとても違うから。
軽く簡単に聞くのではなく、常に相手の気持ちを考えて相談を受ける。
相手を自分に置き換える。
自分にそれが起こったとしたら。
友達が自分だったら?

そう、置き換えることが出来たなら、
悩んで悩みぬいて、自分に相談してきてくれたのだなということが、わかると思います。
そしたら聞いてあげるよと思うのではなく
相談する相手として自分を選んでくれたんだなという思いになります。
自分に相談にきてくれてありがとう。と 思えたら。

one step いけます ^^



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「デパートぶらぶらしていたらクリスマスの雰囲気に呑まれて」の、この手紙、情景がみえる素晴らしいお手紙です。
読んでいたら暖かいものが胸にこみあげてきました。

この彼女には会ったことがありません。
そう、ネットでお友達になりました。^^
あたしにはこういうお友達が、何人かいます。 大切に思う人たちですし
人柄もよくわかっているつもりです。
またこの話は書こうと思いますが
小中学校からの友達、仕事場でのお友達、こういうリアルでのお友達が本当のお友達なのではないの?
ネットなんてバーチャルじゃないの?と、かなり前の、20年位前のあたしならそう言っていたと思います。


ん〜・・。ネットで知り合う友達?むむむっと思うかもしれませんが
リアルでもお友達はいます。
リアルで知り合う方々も大切ですけれど
ネットで知り合ったお友達も、会った時にいきなりハグが出来るくらいの間柄なんです。
男女共にハグできちゃいます。グイグイ締めちゃって相手の胸骨とか折りまくっちゃいそう。
特に細身の男性の方、気をつけてね。バキッといきます。バキッと^^

そして、あぁ、

何よりも 大切なのは、リアル、リアルじゃないとか そんなのじゃなくてね、
年齢を越えたお付き合いが
大切なのです。
自分が目上なら、相手に合わせて目線を下げる。
同じ目線で話せることが大切だと思います。でも、目上の方にどんな状況でもタメ口でいいわけはなくて
尊敬するところ、謙遜するところはキチンと見せましょう。上手にやりましょうということではなくて
どのくらい慕っているか、尊敬しているか、大切におもっているか。
お友達ならしっかり態度で示さなければいけないと思うの
お友達関係でもそれが礼儀ですしマナーです。
友達にマナーがいるならそんなのお友達ではないのでは?なんて、おばかさんなことを思ってはいけないです。
愛情は示さなければわからないです。



また、お友達とはどういうものなのだろうかとか
友達というものは、そこまでして必要かとか、いなくても構わないのではないのかとか。
友達がたくさんいるのがそんなにすごいことなのか?とか
ひとりのほうが気楽とか。

色々と思うところを書きたいのですが 今日はここまでです。
この友達のことを こうだ、だからああだと 簡単にまとめようとするのは難しいです。


なにかと失敗だらけで、実際、しっかりしていなくて、
色々と 不義理をかきまくり、今年もダメダメだったなあと反省しきりの、三枝りいのすけでした。






2016. . 17

自分時間を旅行する。 その1


人にはそれぞれ、すごしてきた時間があるよね。

今こうやっている時も止まることなく時は流れています。

BGMを小椋圭にして机に向かいましたら、
その曲調と歌詞の具合に脳みそが過去をまさぐり
それは、
身体はここに残し心を過去に飛ばします。
セロハン紙の赤と青が混じるような、万華鏡をくるくるとまわしているような。その中を飛んでいく。そんな感触です。
少年時代や少女時代、
おとなになるまでの期間は、
電気がスパークするような感性を誰でも持つものだと思います。
たとえば、あたしが育ってきた時代は
色々な音楽がごっちゃに入り込んでいた時代でした。
ラジオが全盛期の頃から少し下がりはじめてきた頃で、
小学生の頃はテレビの前に座り、歌謡曲の華やかさに目をみはり、
中学生の自分は、フォークソングに夢中になりました。
歌詞の繊細な言葉の使い方に感動して
胸がドキドキしました。フォークギターも弾けたらいいなあと、お金をためて楽器店で一番安いのを買ったりしたものです
(結局、憧れのギターは、コードを指で押さえてみただけで指がとても痛いのでそのまますぐ放置な状態になりましたが・・)
それから、洋楽もイギリスのバンド、アメリカ、ドイツ、フランスからと。どんどんと入り込んでいたので、
ラジオをつけるとその国にいるような気持ちになり、この曲もいいなあ、あの曲もいいなあと
なにもかも新鮮で飽きることのない時代でした。
ロック、ソウル、映画音楽、
なにもかもに心を揺ぶらました。

結局、あれもこれも素晴らしい音楽がたくさんありすぎて
このジャンルが一番なんだとか
ひとつに決めることなどできなく
この人のこの曲は素晴らしかったという位に
浅く語ることしかできないのですが
語ることが大切なことではなくて
自分の今までの生きてきた時の流れの中で
大切な時間、大切な音楽、大切なものは
変わりなく大切であるのです。

若いころの感性は、それからの自分を形成する大切なものなんです。
いまのあなたの感性、大切にしてね。



     秋ですねえ。今日は雨降り、桜の葉は黄色とちょっと赤くなり落葉しはじめているよの、三枝りいのすけでした。
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